構築し直すというアート
DOI:
https://doi.org/10.15845/voices.v1i1.769キーワード:
Community Music Therapy, Uganda, Cultural Sensitivity, Context要旨
カセセ (ウガンダ)
2011年12月
ベタンとグルのプロジェクトで経験したこと(私達がしていることは何かの助けになっているのか?これらのあらゆる文化的障壁を考えた時、私達はどれくらい遠くまで到達できるのだろうか?これが音楽療法と呼べるのだろうか?)、そしてウガンダでの経験すべて(私がスペインに戻ったら何が起こるのだろうか?私のどこが、どのように変わったのだろうか?これらすべてのことをどこから消化していくのだろうか?)を分かち合うカセセでの日々、グルを離れてやっと2週間というところで、私は気づき始めている:どのように自分の言説を構築し、経験の積み重なりを成形し、そのあらゆる内容に形を与え始めるのかということに。そしてわかったことは、言説を創りあげる方法が、経験そのものに影響を与えるということである!どのように形にし、どのように私の生きたことを語るかということによって、その経験がなんとか落ち着き、沈殿していくのである。簡単に言えば、内容の重要性についてたくさん話すことで、それを形式から分離するのはそう容易ではないということが明らかになったのだ。それらは密接につながって歩んでいるのであり、一方が他方に影響し、他方が一方の足跡を刻んでいる....どのように語るかによって、それを憶えるだろう....どのように憶えるかによって、それは存在するだろう。そのようにして、言説のパワーは完成する。しかしそれは統制もする。アンナ ナヴァロ ワグナー:フィールドノートからの抜粋
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