生政治学の視点から音楽療法を再考する
DOI:
https://doi.org/10.15845/voices.v8i3.414Abstract
本論では、フーコー(1977、1990)、アガンベン(1998、1999)、ハート&ネグリ(2000、2004)による生権力や生政治の視点から、音楽療法プロセスの再考を試みる。 筆者の研究の中心的焦点は、音楽療法の政治的意味に関わるものである。このことについて本論では、Nordic Journal of Music Therapy誌に掲載された、エドワード事例の第1回目のセッションに関する議論を例に検討する。そこには、文化的に受け入れられる、ある特定の音楽表現へと向かう方向性が療法的意味と見なされているように思われる。ここで論じられている音楽的統合は、"行動の可能性"を増すものと捉えられているが、また一方で文明化(社会的適合)のプロセスでもあるだろう。生政治の視点から見ると、これまでの議論は専らビオスbiosの側、すなわち文明化の側から論じられ、ゾーエの側、すなわちクライエントの生そのものからの視点が欠けている傾向があったのではないかと考えられる。 音楽療法を通じた文化的統合は、果たして本当にクライエントのアイデンティティ構築を援助するものなのだろうか?本論では、このような問いをさらに探求するために、ハート&ネグリによるマルチチュードmultitudeの概念を紹介する。これは、音楽表現の特異性を尊重する新しい音楽作りのあり方を追求する上で示唆を与えるものであり、近年の多くの音楽療法士達の考えに呼応するものと考えられる。Downloads
Published
2008-11-01
How to Cite
Miyake, H. (2008). 生政治学の視点から音楽療法を再考する. Voices: A World Forum for Music Therapy, 8(3). https://doi.org/10.15845/voices.v8i3.414
Issue
Section
Theoretical Articles
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