この3 月いっぱいで、私が3年間勤めた日本音楽療法学会の理事の2004-2007年度の任期が終わろうとしている。この間、日本音楽療法学会は、101人の評議員、2人の監事、23人の理事を擁したが、これは会員から選挙で選ばれたはじめての役員だった。その前の任期、2001年から2003年までの役員は、学会の創立時に当たったため内部調整によって決められたのである。この二つの任期の理事の顔ぶれを大まかに比較するとこのようになる(便宜上、2001〜2003年を第1期、2004-2007年度を第2期と呼ぶことにする)。
第1期2001-2003年度 理事20名 | 第2期2004-2007年度 理事23名 | |
---|---|---|
医学領域 | 12名 | 10名 |
((現場での音楽療法実践兼務)) | (3名 ) | (4名 ) |
心理学領域 | 2名 | 3名 |
(現場での音楽療法実践兼務) | (0名 ) | (1名 ) |
音楽療法及び音楽領域 | 5名 | 10名 |
(現場での音楽療法実践兼務) | (4名 ) | (8名 ) |
その他 | 1名 | — |
一見してわかるとおり、医師が圧倒的に多かった第1期の理事に比べ、第2期には、音楽療法を専門とする、中でも実践に関わる理事が大幅に増加した。それは、現場で実際に音楽療法をしている音楽療法士の意見を代表するべく選ばれたとも言える新しい顔ぶれであった。
少し歴史を説明すると、日本音楽療法学会はもともと、音楽畑の音楽療法実践家を中心とする団体(臨床音楽療法協会)と、医師を中心とする団体(バイオ・ミュージック学会)が結合して発足した全国組織である。その経緯から創立当初は、音楽療法に関心を寄せる医師たちが、社会的地位の安定しない音楽療法士を応援し、組織化の中心的役割を果たそうとしたのである。
その結果、第1期の理事会の学会運営は、「指導的」で「権威的」な色が濃く、理事の選出から資格認定、教育システムの普及といった重要な議事をハイスピードで進めることで、政治的な外枠を形作っていった。これは効率的ではあったが、一部の、必ずしも専門的音楽療法の現場に精通しているとは言えない指導者層による決定事項が学会員にトップダウンで伝えられる結果を招き、そのプロセスは「混乱を招かないため」という理由で公開されないものも少なくなかった。この延長線上に、後に論争を巻き起こした「国家資格」推進への着手もあった。全体としてみると、第1期の間、学会の規模は大幅に成長したが(会員数約6000)、会員は新しい学会の運営に口をさしはさむための情報も場もほとんどなかったのである。
第2期理事会になったとき、この点が大きな軋轢を産んだ。新理事の多くが音楽療法の現場や専門職としての音楽療法士教育に直接従事している者達であり、年齢層が若年化しただけでなく海外留学の帰国者も増えた。この理事らは、自らが受けた教育や日常の仕事の習慣から、理事会に民主主義と情報公開、そして何よりも学会の中心的任務として政治的な外枠作りだけでなく、学問/専門職としての音楽療法を深める積極的な研究姿勢を当然のこととして求めた。
とくに具体的な大論議となったのが「国家資格推進の方法」についてであった。これの細かい議論については他に譲るが、新しい理事たちの主張は「このように重要なテーマは、会員全体に情報公開をしながら時間をかけて進めること、そのためにまず専門職としての音楽療法士の在り方を探求すること」であり、第1期からの理事たちが主張したのは「窓口を小さくして敏速に活動し、社会の動きと現実に妥協してでも速く身分法を形にすること」であった。この論争は第2期理事会のしょっぱなに起きたが、結局任期の3年間にわたって両派はほとんど互いの理解を得ることができず、こじれ、ついに最後まで分裂的な理事会から脱却することができないままだった。その結果、これ以外のどんな議題も、ほとんど常にふたつの派が真っ向から対立し、理事会としての成熟した話し合いよりも、根回しや個人攻撃が横行し、不信と怒りの感情が満ちていったように思われる。
この分裂は残念ながらますます会員からの信頼を損なう結果を招き、「新理事が混乱を引き起した」というイメージが描かれたという印象を私は持っている。事実、2007年度からの新しい(第3期)理事会では、開かれた学会や研究活動の充実を訴えた理事は選挙によってほとんど姿を消したため、彼らが作ろうとしてきた情報公開のための規約改正、専門職及び学問としての音楽療法を深めるためのプロジェクト、時間をかける民主主義の形成といった努力はこれから大きく後退するだろう。
3年の任期が終るにあたり、私の中には無力感と同時に何か新しいものへ希求がうごめいている。今回の体験で、私がいやというほど味わったのは、ピラミッド型の効率的運営を旨とする「権威的・指導的組織」と、個人の自由と自律を旨とする「民主的・対等的組織」の対立の構図である。これは、人間社会が古くから繰り返してきた永遠のテーマなのであろうが、とくに日本社会には、近代日本の繁栄や生活の安定は「権威的・指導的組織」(国=お上に象徴される、しかしその他全般にわたる)の先導によって成し遂げられたとする信仰が根強くある。日本語には「長いものにはまかれろ」ということわざがあるが、私たちには国、会社、学校、自治会などすべてにおいて、権力をもつ組織にはとりあえず反発せずに添った姿勢をとり、個人的な感情や欲求は何か他の形で密かに遂げるのが賢いという文化的感情がある。結局それがいちばん多くの良いものを手に入れる早道だというのである。
それに対してここ10年から20年の間、徐々にそれを受け入れない文化も育ちつつある。とくに若い層が多く海外で社会体験や留学体験をするようになって、日本独特の古い体制への批判や反発、新しい組織や協調の在り方への模索は現実味を帯びたものとなってきた。ただ、それはまだ社会的勢力として未熟で、方法論を確立したとも言えないので、若いうちはその姿勢の人が、社会の中枢で活躍しながら経済的にも報われようとすると、結局は腰砕けになる場合も多い。とくにこの10年ほどは日本社会のバブル経済の崩壊によって、保守的な社会気分の反動が激しい。
日本の音楽療法界も、これとよく似た経過をたどった。1990年代後半から2000年代前半まで日本の社会であたかも流行のような高まりを見せた音楽療法への注目は、2000年代後半になって徐々に下火になりつつある。音楽療法関連の職業的地位も「バブル」となって減っていく現状にあって、音楽療法士達は理想を追うより自分の職を守ろうとする傾向がある。
しかし私が最も懸念するのは、この「保守的」と「革新的」のふたつの考えのどちらが勝利するか、ではない。双方がぶつかり合い、不毛なきしみ合いを続ける中で、多くの学会員たちが双方ともへの関心を失い、ひいては学会そのものへの関心を失い、内向きになって自分の身の回りの仕事や気の合う仲間だけに目を向け始めることだ。事実、私が仕事上で尊敬する音楽療法専門職の同僚たちは、プライベートな会話で明確にその意志を口にするし、また正直に言えば私自身もそのような気持ちに突き動かされているのである。このままでは日本の音楽療法士達はまた、ばらばらに断片化されてしまう。
異質な考え方が、破壊的な方向ではなく生産的な方法で出会い続けるための鍵はなんなのだろうか。力に対して力で応酬しても、そこには双方が負う傷と、鎧の厚みが増していくだけだ。表面的には民主的手段である多数決を用いたとしても、互いに敵対し打ち負かそうとしている議論は、本質において民主主義とは言いがたい。
ここまで、なるべく偏らないように書いてきたが、すでに明らかなように、私自身はどうしても革新的な考えの側に立つ人間である。しかし自分と違う考えを持つ人たちとも理解し合いたい、互いによい影響を受けながら力を合わせたいと思っている。そして、こういう相互関わりの姿勢を私は音楽療法を通じて学んだのだ。一見困難に思える人と人の距離を出会いの場に変え、新しいものを生み出せる音楽の力を、私はセッションでしばしば感じ、行使することができる。スティーゲはこう述べている。
クライエントとセラピストが、美に関する視点において異なる価値観を持っていたとしても、それは最悪の事態ではない。それによって相互のコミュニケーションをより豊かに、色鮮やかにすることがいくらでもできるからだ。よって、音楽療法士が自分の価値観を分かち合い、またクライエントの価値観に尊重と関心を寄せながら、こうしたポリフォニックな対話を促進できるということは、音楽療法士の専門能力の重要な一要素に違いないのである(日本語訳:筆者)1)。
それなのに音楽療法の未来を考える理事会では、こんな態度はまるで絵空事として一笑に附される雰囲気だったのはなぜなのだろうか。残念なことに、通常、会議に音楽は存在しないが、傷つけ合うことを最小限にして皆が胸襟を開き合うような「前向きな摩擦を起こせること」、これが今、音楽療法士としての私の心にある大きな課題である。
1) Stige, B. (1998). Aesthetic Practices in Music Therapy. Nordic Journal of Music Therapy 7(2),
Ikuno, Rika (2007). 日本音楽療法学会理事の任期を終えて -音楽療法士の会議における摩擦を“音楽的”対話に変える方法とは-. Voices Resources. Retrieved January 10, 2015, from http://testvoices.uib.no/community/?q=fortnightly-columns/2007
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