春の憂愁: 一音楽療法士の内省

class="jpfirst">春..一息入れる季節。毎年3月後半から4 月始めにかけて、私の仕事にはほんの少しのブレイクがやってくる。「そのときが来たらやりたいこと」を楽しみに思い描きながら、私は何週間も何ヶ月も走り続けてくる。仕事場を整理してもっと使いやすくしよう、自分の心の欲する本を読もう、自分の音楽を奏でる時間を持とう、子供のおもちゃを整理してやってわくわくするような遊びをいっしょにしよう、街に出かけて地域の人と新しい出会いをしよう、ひとつでもいいからいい映画やコンサートにいこう.。しかし春と言う季節は、そんな心急く夢をすべてがっしりと受け止めるにはあまりに不安定で気分屋。ふとした突風が軽々と私の心をかつぎ上げ、憂愁の洞窟へと誘い込んでしまう。

  • 人間とは機能が高いか低いか、達成したか達成しなかったかというだけの存在ではなく、認知、感情、身体、社会、霊的活動においてはるかに多面的な在り方をしている。そして療法的達成とは、その多面性の泉からこそ育つものである。
  • 音楽療法の音楽は、その多面性に繊細に沿いながら共に歩むことができるという性質をもっと活用すべきである。
  • 療法という場では、セラピストとクライエントの異なる美的価値体系の音楽が出会うのであり、そこに不可欠に起こる摩擦は、さらなるコミュニケーションの可能性の芽である(Stige, 1998)
  • 療法がめざす健康とは、「与えられた条件を背負って前向きに生き方を創造していく姿勢」と言うことができる(Bruscia, 1998)。
  • 音楽療法の音楽は、単なる「道具」ではなく、生きる意味と深いところで共鳴する芸術としての媒体である(-絶対表現主義)(Bruscia, 1998)。
  • 音楽療法の音楽は、人、結果、コンテクスト、そしてもっとも独特なものとして、プロセスと深く関わっている(Bruscia, 1998)。
  • 音楽療法における美とは、どんな人の存在の中にもある「人としての美」を探し、その美に音楽の美を重ね、それを通して語り合うことである。

参考文献:

Arai, Man (n.d.). Iyashi no Yukue [The Direction of Healing]. The NHK Television Program. (新井満、NHKテレビ「癒しのゆくえ」において.)

Bruscia, Kenneth (1998). Defining Music Therapy (Second Edition). Gilsum, NH: Barcelona Publishers. (生野里花訳「音楽療法を定義する」.東海大学出版会. 2001.)

Stige. Brynjulf (1998). Aesthetic Practices in Music Therapy. Nordic Journal of Music Therapy, 7(2).

How to cite this page

Ikuno, Rika (2005). 春の憂愁: 一音楽療法士の内省. Voices Resources. Retrieved January 15, 2015, from http://testvoices.uib.no/community/?q=fortnightly-columns/2005-

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