自分自身の問いを持つということと、それを他者に伝えるということ - 音楽療法を学ぶ者にとっての重要な一段階-

音楽療法は比較的新しい領域なので、われわれの仕事の大切なひとつとして、さまざまな人々に音楽療法を教えるということがある。誰に対して話しているのかによって、その内容やレベルのみならず、いかにしてその人のドアをノックするかという方法はすべて異なる。このコラムでは、私が最近多くを学んでいる教育の場の紹介をしたいと思う。

それは、地域のヤマハセンターによって行なわれている月1回の音楽療法講座である。対象となっているのは音楽療法士及び音楽療法のコンセプトに基づいて仕事をしている音楽ボランティアである。参加者のレベルは初心者からベテランまでさまざまだが、ひとつ共通しているのは、彼らの多くがかつて(あるいは今も)ヤマハの音楽教育システムの講師や演奏家だったということであるが、これは両方とも高い競争力と自律性を要求される世界である。また彼らの多くは公式の音楽療法コースに属することなく自身で努力を重ね、音楽療法を学んできた。その結果、常に、心理的にも現実的にも孤立や迷路に追い込まれる危険に直面している。日本の音楽療法界では、とくにこういった層の人達に対するスーパービジョンのシステムがまだきちんと組織化されていないのである。だからこそ彼らは日々の仕事のための新しい知識やアドバイスを求めて、私のクラスにくる道を選んだのである。

最初の1-2年、私は、彼らの役に立つと思われる学問的/実践的知識やワークショップ、症例などを講義し、それは表面的には喜ばれているように見えた。しかし、そのうちに私はこのクラスに独特の雰囲気に息苦しさを覚えるようになっていった。彼らは静かに聞いている….しかし私に対して、またお互いに対してもコミュニケーションが希薄であった。講師の私がコミュニケーションをもっととろうとがんばればがんばるほど、彼らの方からは何も受け取ることができないまま裸にされていくような感じがしたのである。なぜなのだろう、と私は考え、そして彼らの中に根深い自信の欠如のようなものを感じ取った。それは、これまで私が経験したどんな教育の場とも違っていた。

私は産休を利用してこの仕事について再考し、この時点で私はほとんどやめるところだった。私はもっと専門的に勉強した人や、そうでなければ全く白紙でオープンな人を教えたいと思っていることに気づいたからである。私の目の前にいるクラスは、そのどちらでもなかった!そのとき、センター長が私をひきとめ、このようなアドバイスをくれた。「もしこのクラスが終わってしまったら、彼らはその孤独な仕事場から出て行くことのできる数少ない場所を失うことになる。彼らは、少なくとも月に一回くらい、あなたのクラスという名のもとに、同じような他の人たちと会うことが必要だ。『教える』ことにそんなにこだわらなくていいから、ただそこにいて、彼らが訪れ、話す場を作ってほしい。」

このアドバイスによって、私はこのクラスのコンセプトを全く変えることとなった。私自身も、彼らの学習姿勢の中の奇妙な悪循環に気づいてきていたところだった:彼らは自信がないので、もっと情報を教えてもらおうとする、しかし上から教えられる情報によって彼らはさらに自信を失っていき、そしてそれがお互いのコミュニケーションを回避するかのような傾向を生む…。こういった状況においては、話すべきは私ではなく、彼らだった。私はクラスをこのように計画した。

毎月順番で、ひとりの参加者がクラスの前で話をする役となる。テーマは音楽と人間に関することならなんでもよい:学問的な症例でも、仕事場で目下直面している問題をただ話すのでも、またなぜこのクラスに来たかという個人史など。しかし彼らは公の場で話すことには慣れていないので、当然この課題は難しすぎると感じるだろう。そこで、私が発表までの一月間、何をテーマにするか、どんな順序で話すか、どんな参考資料を使うかなどについて個人的に手伝う約束をする。つまり、絶対に失敗しないことを保証するのである。発表に際しては、私がクラス討論をサポートし、なんらかの「コミュニケーション」が生まれるようにする。

本当ことを言うと、最初私は、このクラスを即興的にまとめながら皆にとって興味深い時間にできるかどうかなど、まったくわからなかった。実際、最初に1-2回は少々ぎこちないクラスとなった。発表者は何にポイントをおいていいか、聞き手はどう反応していいか、そして教師である私はどの程度自由討論をあてにしていいか、わからなかったからである。しかし、クラスを重ねていくにつれ、その前向きな結果は私が想像もできなかったものだった。発表者(そしてクラス)は、このプロセスを通して劇的に成長した!ここで、クラスへ向けての1ヶ月の典型的な過程を書いてみよう。

発表者が選ばれると、だいたいその人はこう言う。「何を話していいか、全然わからない」「問題はたっぷりあるが、すべて私の頭の中でごちゃごちゃになっている」「私の話など、誰の役に立つはずもない」(こういった姿勢というのは、アジア人の心に特有のものではないかとも思う)。しかし、1ヶ月間いっしょにメールや電話などで準備を進める間に、その人は本当に自分の頭と心を使って何をどう発表したらいいか考え始める。私は、ただかっこよく見える発表を作るよりも、自分の中にある問題を「心配事」のようなものまで含めて扱うように勧める。これには、先生や本の言うことにただため息をついているのではなく、自分が本当に疑問に思っていることを見つめてもいいのだと自分自身に対して許すと言う意味がある。だんだんにその人は「自分のものである問題」を持つことこそ、満足のいく仕事への最初の大きな一歩であることに気づきはじめる。その一方で、私は、その人が持っているのに気づいていないユニークなリソースを見通そうと努力する。

発表の朝、発表者の緊張は極に達しており、足は地についていないかのようだ。私も、まだ生のまま手の中にある材料を使って栄養のある料理ができるかどうか、不安に思っている。しかしクラスは、勇気を出して話そうとしている発表者に対し通常とても支持的である。自分をさらけだしている人がクラスの前にいることで、クラスの凍った空気は「理解する」「自分自身を顧みる」「暖かい関心を持つ」空気へと解けていく。一方で、(一度は「15分以上は絶対に話せません」と言ったはずの)発表者は自分の話に没頭していき、しばしば終わることを忘れてしまうくらいである。私とクラスはそれに対して質問や意見をフィードバックし(いつ、何を、誰が、どれくらい話して発表者の語りを遮るか…これを決めるのが私にとっては最も難しい)、こうしてクラスはコミュニケーションを始めるのである。

しかしいちばんすばらしいのは、発表者にとっての本当の解決案はわれわれからではなく、発表者自身からくるということである。発表の後半あたりから発表者の表情は本当に変わっていき、緊張から解放へ、そしてさらにこうした発表の機会を得たことへの感謝になっていく。自らが動いて考え、自らが動いて話すということが、人に何か自己に対する根本的かつ本質的な気づきをもたらすように見える。そしてさらにすばらしいのは、どの発表者も翌月以降最良の聞き手となって、新しい発表者を注意深く聞き、建設的なコメントをしてくれるということなのである。

この2年、さまざまな発表があったが、いくつか例を挙げよう。

  • 高齢者施設の新しい仕事を開拓し、それを発展させるためにあらゆる努力をしたのに、2年後に施設から職種自体を閉じると告げられたこと:一専門職として、そして一個人としての振り返り
  • 高齢者施設で琴演奏のボランティアをしてきたこと、これからその演奏会スタイルをもっと相互的な活動へと発展させていく方法について
  • 劣等感と母親からの期待過剰に苦しんでいるように思われるピアノ教室の生徒と、遊び的なコミュニケーションの方法を探していった報告
  • 発達障害者と即興的音楽療法を行ない成功しているように思われるが、それが同時に施設の団体生活にそぐわないクライエントの自由な言動を導いてしまっていることについて
  • 自閉症の子供のグループと仕事をしてきた報告と、これから大人になっていくにあたって何を目標にしたらいいか模索していることについて
  • コセラピストが健康上の問題で数週間にわたって来られないとき、セラピストはどうするべきか:施設との関係、ポジションに関するデリケートな問題、ある療法士のセッションを他の音楽療法士が代理できるかという疑問など
  • 若い音楽療法士について、ある種個人的な範囲まで情熱的に批判をする年上の音楽療法士との関係、そして批判される側の自己像についての入り交じった気持ち
  • 初めて音楽療法の公的カンファレンスで発表をした経験についての振り返り:何が成功で、何は改善すべきだったか
  • クラシックのヴァイオリニストが古い民俗芸能である「ヴァイオリン演歌」に惹かれ、師の弟子となってその技術を高齢者の音楽セッションに役立てていることについて(ワークショップ付き)

正直にいうと、発表者の中にはそのあまりの混乱した記述や焦点の定まらない発表で私を本当に不安にさせた人もあった。また、いっしょに準備を勧めるときの時間の取り方も、お互いに違った日常スケジュールを送っているために容易なことではなかった。さらに、いくつかのテーマは私のリーダーとしての力量には重すぎるものであった。しかしながら、発表がひとつ終わる度ごとに、私者毎回感動を覚え、そしてその日のクラスに満足を感じた。その発表にはひとつとして「失敗」はなかったが、それはおそらく、そこで私たちが本当の「人間」と出会ったからであり、「人間」には失敗はないからである。クラスの誰もにとって、必ず何か学ぶこと、あるいは自分とどこか似ていることが発表の中にはあった。このようにしてクラスのコミュニケーションは改善し、お互いの現場を訪ね合ったり、パートナーを組んで仕事を始めた人もいる。

私はこのクラスから多くを学んだ。まず、多くの人が本当に厳しい仕事環境の中で高い献身性をもって働いていることに打たれ、その精神に尊敬の念を持った(皮肉っぽく言っているのではない)。同時に、これほどまでに人々を魅了する音楽療法の力に、私はまたもや驚かずにいられなかった。第二に、音楽療法と言う領域に足を踏み入れるまでの、そしてその中を歩き続けているそれぞれの人の道の実に豊かな世界に目を開かれた。しかし彼らの多くはその豊かさを他者に伝える方法がわからずにいる。それはなかんずく、彼らがコミュニケーションというものを正直でシンプルなものというよりも、専門家的な方法でなければならないと誤解しているからである。第三に、自分自身を表現するということは自分自身を知るための本当に有効な手段であり、この、自分を表現しようとする態度が他者の心の扉をも開くということである。全体として、私は一人の人の中にあってただ開かれ解き放たれることを待っている大変豊かなリソースというものに感銘を受けた…ここには療法のクライエントと相通ずるものがあるように思う。

How to cite this page

Ikuno, Rika (2004). 自分自身の問いを持つということと、それを他者に伝えるということ - 音楽療法を学ぶ者にとっての重要な一段階-. Voices Resources. Retrieved January 11, 2015, from http://testvoices.uib.no/community/?q=fortnightly-columns/2004-

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