日本の音楽療法での世代間ギャップについての考察

中部学院大学リハビリテーション学部理学療法学科
松波謙一

Abstract

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We studied the effects of music upon human emotion with ESA-16, a special computer soft ware program for the analysis of human emotion from EEG. Subjects were 6 old and 8 healthy adult person. Four songs were selected as test music, all of which are very familiar to the old. Their titles were "Furusato", "Akogareno Hawaii-kouro", "Saitarou-busi" and "Kagewositaite". They were chosen because we used them very often in our recipe (repertoire) of music therapy for old person. ESA-16 enabled us to analyze EEG into four components of emotion; Anger/Stress, Joy, Sadness and Relaxation in a pseudo-real time manner. The experiments with ESA-16 revealed that the old person showed a significant decrease in Anger/Stress and an increase in Joy during listening to "Furusato", and a decrease in Sadness and an increase in Relaxation while listening to "Saitarou-busi" with significance. On the other hand, no significant emotional changes were observed in the adult subjects while listening to all four music. For the explanation of these facts, we offered a proposition that the difference in emotional changes observed while listening to four test songs was produced by a large generation gap lying between the old and the adult. This generation gap was produced by the drastic cultural and educational changes since the occupation by the USA, after the unconditional surrender of Japan to the Allied Forces in 1945. This year marks the critical demarcation in producing the large generation gap in Japan. From this time on, the adult are educated under the new democratic system, while the old remained completely in the past as the remains of absolutism and feudalism.

はじめに

現代の日本の文化を考える際に、世代間ギャップの問題を抜きにして話を進めることは出来ないだろう。そして文化の中には当然音楽も含まれる。従って音楽療法を考えるに当っても世代間ギャップは無視できないことになる。所でその世代間ギャップであるが、本論文においては次のように定義する。それは日本が連合国側と戦って負けた年の1945年を境界とするということである。これ以後、日本はアメリカの民主主義を取り入れ、新しい教育制度も導入された。所謂、六・三制である。その結果、旧教育制度と新教育制度の下で教育を受けて育った人達の間には、考え方や道徳・価値観に大きなギャップを生じた。ちなみに私は丁度その境目に位置し、両方の教育を小学生として受けることになった。従って、両者の長所と短所を実体験に即して理解できるようになった。今では、その経験は貴重な財産だと思っている。

 本題に戻り、私が音楽療法について世代間ギャップを考えるに至ったのは、我々が実際に音楽療法で使っている音楽を、脳波の手法を用いて分析した結果に依る。我々が使った脳波の分析方法では、音楽を聞かせたときの感情の変化を、偽リアルタイム(pseudo-real time)で喜怒哀楽(リラックス)に分析していくことが可能である。その方法の詳細については開発者の武者らの文献;を参照されたい (Musha et al., 2000)。

 我々の音楽療法は主として老人を対象として行ってきた。その際、どういう音楽を使えば、お年寄りに最も効果が出やすいのかということを考え、音楽を選んできた。その結果、当然のことながら、老人たちが若い時や幼少の頃に慣れ親しんだ音楽が、最も効果があるだろうということで、そのような音楽を音楽療法のメニューの中に取り入れた。勿論、同じ年齢の老人でも、好みの音楽は、個人個人によって異なってくる。だから音楽療法を行うに際しては、予め何種類かのレパートリ(レシピ)用意しておき、その中からその人に合うような音楽を用いて音楽療法を行った。それでも、多くメニューに亘って好んで採用される音楽が存在する。

 所で、このように我々の経験に基づく直感によって選んだ音楽が、果たして音楽療法に使用するに当たり、本当に適当なのか否かと云うことは、ほとんどの音楽療法士が日頃から自問自答し、悩んでいるところであろう。その一つの解決として、従来からのアンケートなどによる心理学的調査に基づく結果を参照しながら音楽を選択して行くということがある。その一助として、既に、アルトシューラー(Altschuler I.M.; 1941,1944)の「同質の原理 (Iso-principle)」や1,2)、それの流れを汲むポルドスキー(Poldosky E; 1954)の「音楽処方曲目リスト」がある6)。これはこれで有力な方法である。しかし、もう少し客観的なデータを得る事は出来ないだろうか--------という素朴な疑問が、私のように医学・生理学に携わっている人間には生じてくる。こうした観点から精神科などを中心に、脳波と云うものが長いこと音楽療法の研究で使われてきた。しかし周知のように、十分に満足できるような結果が得られたとは言いがたい。これは従来の脳波による方法が、主としてアルファ波の増減だけを目安にして論じてきたためである。定性的なことは云えても、喜怒哀楽という感情にまで踏み込んで分析することは出来なかった。しかし、近年、脳波を使った感情分析システム(ESA-16: Emotional Spectrum Analysis)が開発され、5.12 秒の時間分解能ではあるが(sampling rate は1ms)、喜怒哀楽(リラックス)をpseudo-real time (偽リアルタイム)で分析することが可能となった(Musha et al., 2000)4)。これを我々が音楽療法で使用している音楽について適用し、分析した結果、健康な老人と健康成人の間で興味ある違いを見出した(Okumura et.al., 2005)5)。そしてその違いを、老人と成人の記憶などに基づく嗜好性の違いによると結論した。しかし、改めて考え直すと、この違いは、先に述べたように、日本文化の戦前と戦後の断絶に依るとして見直すことが可能ではないかと思うに至った。そこで、本論文では世代間ギャップという観点から問題を提起するものである。詳しくは、考察で論述するつもりであるが、まずは我々のデータを示していく。

実験データ

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Figure 1. Demonstration of temporal changes in emotion in a pseudo-real time manner, deduced from EEG with ESA-16, into the four emotional factors, Anger/Stress, Joy, Sadness and Relaxation. Ordinate is an amount of change in emotion in arbitral unit produced by ESA-16. The abscissa is time (5.12 time/bin). Each abbreviation in the figure is: f, Furusato; a, Akogareno Hawaii kouro; t, Saitarou-busi; k, Kagewositaite; eye opening period (0); eye closing period (1). (Modified from Okumura et al., 2005).
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Figure 2. Emotional changes observed in the old during listening to four test songs; "Furusato", "Akogareno Hawaii-kouro", "Saitaroubusi" and "Kagewositaite". Anger/Stress decreased and Joy increased significantly during listening to "Furusato". Saitarou-busi" produced a significant decrease in Sadness and a moderate increase in Relaxation. Comparison was made between eye-closing period (control) and during listening to test music. (Modified from Okumura et al., 2005).
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Figure 3. Emotional changes observed in the adult during listening to four test songs; "Furusato", "Akogareno Hawaii-kouro", "Saitarou-busi" and "Kagewositaite". No significant emotional changes were observed in the adult while listening to the four test songs. The only exception was during the march-like "Saitarou-busi", which produced an increase in relaxation while listening to the song. A comparison was made between eye-closing period (control) and the period listening to test music. (Modified from Okumura et al., 2005).

まず我々がESA-16を使い、老人と健康成人の脳波の解析から得られたデータを示す(Fig. 1-3)。図1は脳波から喜怒哀楽(リラックス)の4成分に抽出したものを時間経過と共に示したグラフである(偽-リアルタイム表示)。我々は楽しみ(楽)と云う言葉の代わりに、音楽療法により向いていると思われるリラックスという言葉を使っている。以後、この語法を踏襲する。

図1の縦軸は喜怒哀リラックスの相対的な強さを表す。横軸は時間である。棒グラフの幅は5.12秒おきである。この値(5.12 秒)が図上の時間軸の基本単位になる。我々は次の4曲を音楽療法で頻繁に使用している。すなわち、"故郷(f)"、"憧れのハワイ航路(a)"、"斉太郎節(t)"、"影を慕いて(k)"である。今回の分析ではこの4曲を使用した。図1ではそれぞれの曲を略号で示した。実験のコントロールとして、3分間ずつの安静閉眼(0),安静開眼(1)の期間を設けた。

ついで、おのおのの音楽について得られた、喜怒哀リラックスの成分を、それぞれの曲について、曲の始まりから終りまでの時間積分を行い、その数値を求めた。その際、個人差が大きいので、その影響を除く意味で、さらに、平均値と分散を用いて規格化し、新変数Zn( Zn=(Xn-m)/σ)を定義した。この手続きにより被験者毎のデータを直接比較することが可能となった。結果を図2と図3に示す。図2は高齢者群であり(n=6)、図3は健康成人群(n=8)である。

高齢者群(図2)において左側には感情のネガティブ成分、即ちN1(怒り),N2(哀しみ)、右側にはポジティブ成分のP(喜び)とR(リラックス)についての結果が示されている。そして音楽を聞かせる前の閉眼期(コントロール)に比べて、"ふるさと(f)"ではネガティブ成分のN1と、"斉太郎節(t)"でのN2成分でともに有意な減少が見られた。一方、ポジティブ成分については、"ふるさと(f)"を聞かせた場合に有意の増加が見られた。有意とまではいかないが、"斉太郎節(t)"では 弱い増加傾向を示した。叉、有意差はみられないものの、いずれの音楽もネガティブ成分は減少する傾向を示めしていた。

これに反し、健康成人では有意な変化は見られなかった(図3)。例外は、"斉太郎節(t)"で、リラックス成分で有意な増加が見られた。以上の結果に基づき世代間ギャップについて考察を進める。

考察 と仮説

我々は、"ふるさと(f)"、"憧れのハワイ航路(a)"、"斉太郎節(t)"、"影を慕いて(k)"の4曲について、これらが感情に及ぼす影響を、脳波を使って分析した(感情分析システム;ESA-16)。これら4曲は日本の唱歌・流行歌であり戦前及び戦後間もなくの期間、日本人に親しまれてきた音楽である(つまり、今の70歳以上の人たちが子供や青春時代に親しんできた音楽である)。この四曲を、健康な老人と、健康成人に聞かせたところ、引き起こす感情につい、両者で差が見られた。老人で変化がよく見られたのでる。

このことは、老齢の人たちが子供の時や多感な青春時代に慣れ親しんだ音楽に当たるからと結論付けることは容易であり(cf. Okumura et al., 2005)10) 、その通りだと思う。ただ、これら音楽は、日本の唱歌・流行歌といわれるように、老人のみならず、被験者になってもらった健康成人(以下、単に、成人と表記する)の人たちも、一応は聞いてきており、よく知っている音楽である。それなのに、何故、両グループ間で差が出たのであろうか?それに対する可能性は二つほどあると思う。

一つは今いったように、記憶、あるいは慣れ親しんだ音楽だからと云うことである。その他、叉、色々なファクターが考えられると思うが、私は敢えて"世代間ギャップ"というもの考えたい。そこでまず世代間ギャップから論述する。

日本は第二次大戦の敗戦(1945年)により、その戦前と戦後とでは社会的・文化的情勢が激変した。つまり1945年の日本の敗戦から1952年のサンフランシスコ条約の締結にいたるまで、日本は連合国側の占領統治下にあった。この間、日本の社会システムは大きく変えられた。一つにはアメリカ軍マッカーサー元帥の指令下、GHQ (General Head Quarter)によるアメリカ民主主義の名のもとに敢行された、憲法改正とアメリカの教育システム(6・3・3・4年制)の導入である(ドイツは両方とも拒否した)。また、米ソの対立(冷戦)の狭間にあって、独裁政権ソ連邦・コミンテルンの影響力も大なるものがあった(その影響は現在も残っている;特に"進歩的"と云われるオピニオン・リーダーの人々に著しい)。これにより、戦前までの日本文化はほとんどのものが封建的・右翼・ファッシズムということで否定された。歌舞伎ですら、一時は封建制度を賛美しているものとして上演禁止となった(今は世界でも認められている)。柔道、剣道など、日本古来の武術も戦争を奨励するものとして禁止された。同じようにして、日本の古来の音楽も学校の音楽の授業で教えられることは極端に少なくなった。だから、戦前では嫁入り前の女性の嗜み(教養)として教えられてきた、琴・三味線の類は教えられることがほとんどなくなった。変わって、ピアノ、ヴァイオリンが女の子の教養として教えられるようになり、ギターは若者(特に男子の)の楽器となった。 それ反比例するように、一般市民や、農村に根付いた追分、馬追い、田植え歌、茶摘歌といった生活と密着した仕事歌としての民謡は見る影もなく衰亡していった(日本の音楽については、小泉(1977)も参照されたい)12)。日本は涙ぐましいまでにアメリカを目指し、アメリカナイズして行ったのである。同じような事は、江戸時代から巷の庶民の歌である、清元、新内、小唄、端唄、長唄でも起こった。これらは三味線を必要とし、戦前は"いき"な唄として、或いは恋の歌として歌われてきたものである。今では死語になったが、"乙な喉をきかす"とか、"甲走った声"とか言う言葉があった。これは音調を示す甲調、乙調から来ている。二上がり新内"と云うのは、三味線の調子を二段上げた調子のことである。"いき"で余韻嫋々とした唄を伴い、男女の仲を歌うのが多かった。そしてこれを唄いながら露地から露地を行くのが江戸の"新内流し"である。こうした江戸時代からの唄は今では全くと言っていいほど聞かれなくなった。このような"三味線音楽"は、江戸時代から明治までの、所謂、日本の"いき(粋)"を代表する音楽あった。"いき"については哲学的・文学的に論じた九鬼周蔵の「いきの構造」がある(英文訳がないのが大変残念である)9)。また、谷崎潤一郎の「陰影礼賛」は素晴らしい日本文化論であるので参照されたい13)。

ただ、それでも、童謡や唱歌の一部には、そうした"日本的"なものの陰影が残り、小学校の音楽の教科書にも取り入れられてしばらくは残っていた(陰影については谷崎潤一郎の「陰影礼賛」を参照されたい。素晴らしい日本文化論である)。その代表的な歌の例が、我々が使った四つの音楽のうちの"ふるさと(f)"であろう。一方、"憧れのハワイ航路(a)"(1952)や"影をしたいて(k)"(1930)は、戦前と戦後まもなくの流行歌であり、75歳以上の人には懐かしい青春の音楽である。そして"斉太郎節(t)"であるが、松島の美しい風景を愛でた唄であり、今ではほとんど歌われることはない。ただ、この斉太郎節は元気で明るい音楽なので、老人と成人に共通して効果が出たのであろう。

それはさておき、他の三曲についてもう少し詳しく見ていってみよう。特に重要なのは、"ふるさと(f)"、であろう。私も小学校の時に習って以来、この歌をうた歌うたびに、疎開先で過ごした山深い農村の四季の姿を思い出すのである。日本の多くの老人の人たちがそうであろう。嘗て日本の人口の7割が農民だったのである。そして、東京の郊外ですら、この歌に歌われているように、川には鮒が泳ぎ、蛍が飛び交い、蛙が歌い、ザリガニが沢山いたのである。今の東京からは想像も出来ないことであろう(ちなみに、良く歌われる「春の小川」の小川は、代々木近辺の小川である)。今の東京は、犇めく家とコンクリートの谷、そして自動車の騒音が満ち満ちている。思い返すと、戦争により、戦前の日本の大きな都市は、無差別爆撃により、ほとんどが壊滅した。東京だけでも、わずか二日の大空襲で、15万人の市民が焼け死んだのである。オーブンの中の魚よろしく、燃えながら歩き倒れ焼け死んでいった。隅田川の川面は、灼熱地獄から逃れようと橋から飛び降りた人々や、猛火による酸欠や酸化炭素中毒で溺れた人々の死体で埋め尽くされた。そして戦後が始まった。新しい教育である。これらにより、人々の価値観は180度変えられた。戦前のものは全て悪であり無価値となった。だからいまの老人にとって、自分たちが育ってきた時代は"それでも良いところがあった"、と、心の中では思っても、若い人に向かって、正面からは言えないのである。だから、老人にとって、学校唱歌"ふるさと(f)"は、そうした戦争で失われた自分たちの素朴な"よき時代"へのノスタルジアであり、子供時代と青春とを美しく思い起こすことの出来る、せめてものよすがなのである。一方、戦後の教育で育った、成人の人には、そうした心の屈曲はない。個人的な悩みは個々にあるとしても、世代としての負い目、陰影となるものは何もない。こうした両者の世代間のギャップが今回の"ふるさと(f)"での違いとなって現れたのであろう。

 一方、"影を慕いて(k)"は戦前の流行歌(1930)である。作曲は古賀政男(1904-1978)による。彼の音楽は"古賀節"とか"古賀メロディ"と呼ばれ、人々に広く好かれているものなのだが、彼の音楽にはこの戦前の音楽の流れがあるように私には思われる。つまり、"古き日本人"に好まれる音楽があるということであろう。一方、"憧れのハワイ航路(a)"は、

石本美由起(作詞)江口夜詩(作曲)、岡晴夫によって戦後まもなく歌われ、戦後のアメリカ文化の明るい部分を良く反映した歌である(1948)。伸びのある、青い青空に歌声が吸い込まれ解け込んでいくよう歌である。敗戦まもなく、数百万とも言われる人たちが、満州や南方諸国から狭い本土に引き上げてきた。その人たちの為に、やっとバラックの家が建ち始めた頃である。4畳半と6畳、台所だけの木っ端葺きの平屋である。そこに4人から6人の家族が雑魚寝をした。食糧事情は極端に悪かった。一時は3千万人の餓死者が出るのではないかとさえ云われたが、天皇の直訴によりマッカーサーはLALA物質(有償)を放出し、日本人は救はれた。それでも米や麦はほとんど食べられず、口にするのは、ふすま、高粱、芋や芋蔓、南瓜(カボチャ)であった。卵ですら貴重品であった。そうした中で、今の老人たちは必死で食料を捜し求め、子育てをしてきた。私はその育てられた側の人間である。そうして、ある意味では無残なとも言えるあの時代の、今の老人たちの心を明るく伸びやかにし、希望を持たせてくれた歌の一つが、"憧れのハワイ航路(a)"だったといえようか?こうした、若い頃、聞いた歌が、今、老人となった人たちの心を揺さぶるのであろう。

次に、第二の論点となる、記憶の想起という観点から述べる。これは広くいわれていることでもあり、奥村ら(2005)も論述していることでもあるので10)、ここで敢えて再述する必要もないとも思えるのだが、私も加わっていることでもあるし、この奥村の論文(筆者も共同研究者である)に準拠して述べることにする。しかし、奥村らが"考察"で詳しく考察しているので、簡略に述べるにとどめる。

奥村ら(2005)によれば10)、"高齢者群はどの曲を聴取した場合でも、「楽しい」内容の思い出が想起され、聴取後の気分は成人群と比べ、快の感情成分と充足感の得点が高かった"。従って、使用した音楽が高齢者にとってどれも思い出深い懐かしい曲であったと結論している。一方"成人群は音楽聴取中の思い出の想起量が高齢者群と比べ少なく、思い出した場合でも「特に気分を伴わない」という回答が多かった"。このことから、成人群にとって今回使用した音楽は、どれも特に深い思い出や気分を伴うほどのものではなかったと結論している。そして、"ふるさと(f)"、"斎太郎節(t)"は高齢者群にとっては幼少の頃から生活の中で広く一般的に聞いたり歌ったりする機会が多かった曲であり、一方"憧れの ハワイ航路(a)"や"影を慕いて(k)"は流行歌として特定の歌手により歌われたもので、高齢者群が多感な青年期に多く経験している曲であり、高齢者群で思い出の想起量が多くなり充足度も高くなったと結論している。これはギブソンの言うように(Gibbons,1988)3)、高齢者は青年期に聴いた音楽を好む傾向にあるということになる。なかんずく、"「影を慕いて」の聴取時には、(失恋の思いによるものか)、「悲しい」内容の思い出を「非常によく思い出した」"と回答した事例があった。因みに、当時の結婚はお見合いが殆どで、意中の人には言葉すら交わせぬままに過していった人が多かったことも付け加えておこう。これは今の人たちには想像がつかない非常に大きな世代間の違いである。

そうして、このような日本での世代間ギャップは、欧米では考えられないくらいに大きいということを、見過ごしてはならないだろうと思う。そしてまた、こうした世代間ギャップと云うものは、欧米から見た"後進国"(その殆どが旧植民地である)には程度の差こそあれ、存在するものではないかと私は思う。そこに私たちは欧米とは違う、日本においての音楽療法と云うものを、今後、私達は模索していかなければならないのではないかと思う。

結論

日本は太平洋戦争(大東亜戦争)で連合国に敗れ、無条件降伏をした(1945)。アメリカ軍が日本を占領し、マッカーサー元帥のGHQ(General Head Quarter)の絶大な権力の下に、新憲法創設と新教育制度の導入(6・3・3・4制度)がおこなわれ、強力に民主主義が押し進められた。一方、冷戦下の狭間にあって、ソ連邦(コミンテルン)の影響も(特に"進歩的"といわれる知識人に)著しく、その影響はいまだに続いているない。奇観である)。こうしたことから、1945年を境に日本の社会的・文化的価値観は激変した。戦前の価値観は封建的・軍国主義・天皇制の名の下に全て無価値となった。これにより現代の日本では、老人と戦後に育った成人や若者との間で大きな世代間ギャップを生じた。そして、今回の"ふるさと"などの音楽聴取にみられる、老人と戦後育った成人との違いは、この世代間格差に帰せられると結論し、それを仮説として提唱した。

参考文献

1. Altschuler I.M. Four years' experience with music as a therapeutic agent at Eloise Hospital. Am J Psychiatry, 100: 792-794 1944.

2. Altshuler I.M. and Shebesta B.: Music ---- An aid in management of the psychiatric patients: Preliminary Report. J. Nerv & Mental Dis., 94(2): 179-183, 1941.

3. Gibbons, A.C., A review of literature for music develpoment/education and music therapy with the elderly. Music Therapy Perspectives, 5: 33-40, 1988.

4. Musha T., Kimura S., Kaneko K., et al. Emotion spectrum analysis method (ESAM) for monitoring the effects of therapy applied on demented patients. Cyber Psychology & Behabior, 3 (3): 441-446, 2000.

5. Okumura Y, Igawahara K, Matunami K and Momma Y; Emotional change in elderly persons induced by old Japanese popular songs ----A study with EEG and questionnaire method---. J.Jpn. Musical Therapy, 5(2): 177-186. (In Japanese).

6. Poldosky E. (Ed), Music Therapy, 335p, Philosophical Library, 1954.

7. ビョルンソン, B、アルネ;小林英夫(訳)、岩波文庫、12刷、1988。

8. 小森谷清(編)、歌伴のすべて、783頁、東京、全音楽譜出版社、2003。

9. 九鬼周蔵、いきの構造、岩波書店、1930。

10. 奥村由香、井川原弘一、松波謙一、門間陽子:大衆音楽聴取による感情の変化―――脳波解析法と質問紙法を用いた検討―――、日本音楽療法学会誌、5巻2号、177-186, 2005。

11. ハンチントン、S.P.、文明の衝突、集英社、1998。 Huntington S.P., The Clash of Civilization and Remaking of World Order., Simon & Schuster, (Paper -back), 1998。

12. 小泉文夫、日本の音-----世界の中の日本音楽-------、302頁、青土社、1977。

13. 谷崎潤一郎、陰翳礼賛、1933。

付録

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(1) ふるさと
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(3) 斉太郎節

(1)ふるさと

*以下、「ふるさと(f)」と「斉太郎節(t)」の音楽の出だしの数小節を参考までに示しておく。しかし、"ふるさと(f)"だけは重要であると思うので、全曲示す(小森谷(編)、歌伴のすべて(2003)による)8)。

(2)憧れのハワイ航路

"憧れのハワイ航路(a)"は戦後のアメリカ文化の明るい部分を良く反映した歌である(1948)。伸びのある、 透明な青い青空に歌声が吸い込まれ解け込んでいくよう歌である。

石本美由起(作詞)、江口夜詩(作曲)、岡晴夫が歌い大ヒットした曲である。

英文誌については掲載許可を取ったが、日本誌については取っていないので、残念ながら、楽譜は掲載しない。しかし、日本人の人には旧知であり、楽譜も容易に探せるので、大きな苦痛にはならないと思う。「影を慕いて」についても同様である。こうした場合、せめて学術誌には容易に掲載されるようにして欲しい。莫大な利益を上げているJASRAC

(一般社団法人 日本音楽著作権協会)などの猛省を促します。

(3)斉太郎節

斉太郎節(t)"は溌剌とした勇ましい民謡で、松島の美しさをたたえているが、元気付けるための旅行歌といえようか?

(4)影を慕いて

最後の「影を慕いて(k)」は古賀政男が戦前に作曲している(1930)。同様の理由で楽譜は掲載していません。

彼のメロディはある意味では大正デモクラシーの影響を受けた西洋的なスタイルが明瞭であるが、それにも関らず、その独特の節回しは "古賀節"とか"古賀メロディ"といわれるように、戦前の日本情緒といわれるものを深く受け継いでいる。それ故に広く日本人に親しまれるのであろう。この歌は非常にゆっくりとした曲である(一分間に86拍)。哀愁を帯びた恋の歌、言ってみれば、遂げられない片思いの恋の歌である。この感情は、直接的な感情表現をする、欧米の感情とは大きく異なるものである。隣の中国・韓国とも異なるものである。この両国とも日本よりは遥かに明瞭に自分の意思感情を表出する国である。それ故に、ハンチントンが日本を中国文化圏に入れず、ひとつの独立した文化圏を日本の文化に与えたのであろう11)。その故に、"影をしたいて(k)"の持つ、綿々たる情緒性を、他の国の音楽にその類似性を見出すことが難しいのであるが、たまたま私の記憶の中に、アイルランド民謡が思い浮かぶ。テレビからの音楽で、メロディだけで、題名も、ましてや歌詞も覚えていないが、一度聞いただけなのに不思議と音楽を覚えてしまっている。そうした感情は、アメリカで敢えて探せば、オー・ヘンリーの短編、"最後の一葉"に近いものかもしれない。フランス語で言えばエスプリであろうか?しかし、それすらも私には明晰すぎるように思える。九鬼はシック(chic)と云う言葉を当てている9)。それよりは、私の心の中には、スエーデンの作家、ビョルンソンのアルネが思い浮かぶ7)。厳冬での、寒さで曇った窓ガラスの上に、「アルネ、アルネ、アルネ、アルネ--------------------------」と、ひたすら恋人の名前を、ただそれだけを、綿々と書き綴ずっていったあの心根である。このような感覚が日本の老人の心を揺さぶったのであろう。