「うたの住む家」プロジェクトの2年間 - 共同作曲の可能性についての一考察
はじめに
私は、音楽家である。大学、大学院では、音楽理論、音楽療法、作曲法などを学んできた背景を持つが、現在は、演奏活動をしながら、さまざまな人と音楽を作るワークショップをしている。その企画のうちの一つが「うたの住む家プロジェクト」である。このプロジェクトは、「うた(音楽)とは何か」、「家(場)とは何か」という根本的な問いから始まっている。それは、とりもなおさず、コミュニティ音楽療法に代表される音楽療法の近年の関心領域とも重なるものであろう。
そもそも、なぜ私が、「うた」と「家」というものを問い直し始めたのかという背景から述べたい。
私が生まれ育った家庭は、家の中にいつもうたが響いている家庭であった。両親が音楽を専門的に勉強した背景を持つわけでもなく、それを職業にしているわけでもない。しかし、家の中では、既成のうたから即興で作った鼻歌まで、家族の誰かによってうたわれたいろいろなうたが同時多発的に聞こえてくる。同じうたがユニゾンでうたわれることもあれば、まったく違ったうたが同時に聴こえてくることもある。私が高校生のとき、友人が私の家を訪れ、「あなたの家族は、いつも誰かがうたっている」と言った。そのことから、この環境が特殊な環境であることを知った。こんな音楽環境で育ったことが、「複数の人が音楽をする空間」に興味を持つきっかけになった。地域の中にこのような空間を作ってみたいと思っていた時に、音楽療法に出会い、音楽療法について勉強し始めた。しかし、いわゆる『治療的』音楽療法セッションにのめりこむうち、いつの間にか私はその「治療」という枠組みに不自由さを感じるようになっていった。「治療」においては、クライアントの行動ばかりに注目することを余儀なくされ、その音楽を聴けなくなっていくという矛盾に陥ったからである。
このことをきっかけに、治療を目的とするのではなく、純粋に「音楽づくりを目的とする場」をつくりたいと考えるようになった。その後、私は音楽療法家としてではなく、音楽家として活動を始めた。
音楽家として活動し始めて1年ほどたったころ、「エイブルアート・オンステージ」という公募企画にであった。エイブルアート・オンステージは、「障害のある人を含む多様な人たちとつくる新しい舞台芸術の取り組み」である[1]。「エイブルアート・オンステージ」は、舞台表現を追求してきた企画ではあったが、さまざまな人と音楽をする場づくり自体が新しい舞台づくりになり得るのではないかと考え、エイブルアート・オンステージの企画への応募をきっかけに「うたの住む家プロジェクト」を始めることになった。
1うたの住む家の概要
うたの住む家プロジェクトとは、赤羽美希と正木恵子による音楽ユニット「即興からめーる団」が主催するプロジェクトである。2007年度は、明治安田生命社会貢献プログラム「エイブルアート・オンステージ」と港区から、2008年度は港区から助成を受けて活動している。
うたの住む家の概要は次のようなものである。
目的 | 「うた」を作る。また、うたを創り続けることを通して、新たな「うた」の形態を模索する。 |
---|---|
対象 | うたの住む家に興味がある人ならだれでも(障害の有無を問わない) |
方法 |
|
○うたについて~なぜ「うた」なのか
「うた」というと、歌詞とメロディーがあるものが真っ先に思い浮かべられるだろう。それぞれの人には、「声」「しゃべり方」など個々人に異なる音の個性がある。その個性的な音をそのまま音楽に取り入れるために、「うた」は絶好の媒体である。
さらに、「うた」は漢字で「歌」「唄」「詩」などいくつかの文字があてられる。辞書上でも、歌詞とメロディー・リズムのあるものから、和歌、現代・近代詩などの解釈もあげられている[3]。また、メンデルスゾーンの「無言歌」のように、言葉のない作品もある。このことは、「うた」がもっと幅広い解釈の可能性を持つことを示唆している。うたの住む家は、様々な人と創作し、また様々なアーティストに「うた」づくりのファシリテートをしてもらうことなどを通して、新たな「うた」の形態を模索する試みでもありたいと考えている。
○家について
ワークショップの展開は場所自体に影響されて変化するものと考えるため、ワークショップ場所の選定は重要であろう。「家」という場は、さまざまな居方を許容できるスペースであると考えている。また、家は、居間、キッチンなどが存在し、料理やお茶の時間をとりながら音楽作りのワークショップをすることができるなど、無機的なスペースにはない面白さがある。
ただし、普通の民家で様々な人とワークショップを行うには、いくつかの問題も生じる。たとえば、現在拠点としている「家」は、物理的なバリアフリーの配慮はなされていない。そこで、物理的な条件をバリアフリーにすることを考えるのではなく、その場でどうやったら障害のある人が一緒に活動ができるのか、スタッフがセンシティブに対応することで、場作りをしていくという共通認識を持った。
また、家は公的な施設や学校などと異なり、人が生活している地域にある。そこで音楽活動をすることは、近隣住民と丁寧に関係をつくりながら、理解を得ていくということも同時に意味する。
○その他、この企画の中で重要と考えている点
- 治療や教育を目的としない。あくまでも音楽作りが目的である。
- 参加者の特徴を積極的に取り入れる。
- 最終的な到達地点を決めず、その場で起こったことを踏まえて次の展開を決めていくということに徹する[4]。
以上のようなコンセプトで、活動を開始したところ、知的・精神障害をもった人、大学生、地域の人、音楽家、美術家など様々な立場の人、また0歳の赤ちゃんからお年寄りまで、幅広い年齢の人が参加した。参加者には、スタッフが日々の活動の中で知り合った人たちや、アート関連の施設や港区の施設、障害者関連施設に置かれたチラシや港区の広報誌を見てアクセスしてきた人、また「家」のご近所で出会った方などがいる。毎回のワークショップ参加者は10~20名で、毎回参加する人や、その時のみ参加する人など様々である。ワークショップは、2007年10月から2009年8月までの間に53回行われ、現在も継続中である。出来上がった曲は、50曲以上に及ぶ。また、できあがったうたは、「家」や「学校」、「コンサートホール」、「路上」などで、これまでに計7回のライブで発表された。
2うたの住む家の音楽の特徴
今回は、うたの住む家で作られている音楽の特徴について、次の三つの要素に絞って述べる。
(1)メロディー(2)歌詞(3)形式
以上の点について、実際のうたづくりの事例をいくつか取り上げながら、どのような特徴があり、どのように作られたものなのか説明する。
(1)メロディー
Ex.1)「宇宙人のクリスマス」
Christmas of an Alien (Audio file .m4a 4.28MB)
このうたのメロディーは、最初の部分だけとってみても、5度ずつ跳躍して上行し、その後1オクターブ跳躍して下行する。非常にうたいにくいメロディーである。この作曲方法は、メロディーの1音あるいは1フレーズを参加者一人ずつが選んでつなげるというものである。参加者の中には、音楽大学の学生もいるが、知的障害の人、音楽大学以外の大学生、英語講師などさまざまな人がいる。メロディーのつながりのスムーズさを考えて構成する人もいれば、メロディーのつながりは考えずに「次は、鍵盤ハーモニカの一番上の音と一番下の音を一緒に鳴らす音がいい」「鍵盤ハーモニカの一番上の音から一番下の音まで降りてくるメロディーがいい」などと、視覚的、感覚的にフレーズを決める人もいる。また、知的障害の人には、鉄琴を一音鳴らしてもらい、それをメロディーにつなげた。この方法は、これまでのいくつかのうたづくりに使用している。
(2)歌詞
ここでは二つのうたの例を挙げる。
Ex.2)「UBB」
このうたの歌詞は次のとおりである。
3年前位 僕は UBB
ホームの2階 UBB
USAでは This is normal.
バリはリバー
インドはガンジス
パリはドナウ
「おばあちゃん ハワイで怒られる」
上京してきて UBB
間取りはUB 窓なしで
お風呂とトイレが一体化
根無し草
おおかみライオン
ボヘミアンUBB
「おれは擦過傷が耐えないぜ」
現在進行形UB
狭いよUBB
お湯がはれない UB
カーテンを閉めよう
パパ入るなよ
むすめが入るとき
*Lalala lalala la-
Lalala lalala la-
Unit Bath Blues
この歌詞には、漠然としたテーマはあるが、全体を通した意味を持たない。このうたを作る時には、美術大学の学生、映像を学ぶ学生、音楽の専門学校でベースを学ぶ学生などいろんなジャンルの人と知的障害のある人がいた。この日の歌づくりの流れは次のようなものであった。
この日のテーマは、「部屋のうたをつくる」。ファシリテーターがワークショップ参加者に「どんな部屋のうたを作りますか?」と尋ねると、「ユニットバス」との答えがかえって来た。ユニットバスは、日本ではあまりなじみがないので、参加者のイメージが膨らまなかった。そこで、美術大学の学生にユニットバスの絵をかいてもらう。すると、知的障害を持つ人たちの何人かが、「グループホームの2階にユニットバスがある」、「3年前くらい、自分の家にユニットバスがあった」などと意見を言う。さらに、「ユニットバスはお風呂とトイレが一体化している」「ユニットバスはアメリカではあたりまえ」と誰かがいい、それをきっかけに大学生やファシリテーターがほかの国のお風呂はどんなものなのかについて議論を始める。
「インドのユニットバスは?」「川じゃない?」「インドの川って何川?」「ガンジス川だよ。」「川って英語で何ていう?」「リバー。」。この発言をうけて、「じゃあ、バリもリバー?」などといったダジャレも出てくる。「パリの川は?」「ドナウ川でしょ。」「違うよ、セーヌ川だよ。」「でもその間違いがおもしろいからパリはドナウでいいんじゃない?」「そういえば、私のおばあちゃんはユニットバスの使い方を知らなくて、ハワイのホテルで部屋を水浸しにして、ホテルの人に怒られた。」などと会話が進む。
すると、映像を学ぶ学生が「そういえば、お風呂で生活する人を描いたショートフィルム(フィクション)を作ったことがあるので見てほしい」と言い出す。この映像を全員で見ると、さらに妄想が広がり、「ユニットバスで暮らす人ってどんな人?」「今もユニットバスに住んでるの?」「おうちのお風呂がユニットバスの家族は、たとえば娘がお風呂に入っているときに、父親がトイレに行きたくなったらどうするの?」などとまるで連想ゲームのように会話が始まる。
このように、複数の人が別々に言った会話をほとんど整理することなくつなげることによって歌詞ができあがった。
Ex.3)「一通の手紙が届いた」
このうたの歌詞は、二人の男性によって作られた。そのうちの一人の提案でつくられた歌詞について紹介したい。彼は、その障害から、周囲の人にかなり大きな声で話しかけ続ける傾向がある。話の内容は、例えば過去にあった辛い出来事、自分の状況の否定的な説明(「私の病気はあと数十年治らない」)、自分の行動を抑制するためのフレーズ(「人に迷惑をかけてはいけない」)などである。
この日は、「泣けるうたをつくろう」というファシリテーターの提案でうたづくりが始まった。なかなか先の展開が決まらず停滞状態になったときに、彼が突然、「時間がないから先にすすめてください」「時間で動いていますから」と言った。しかしファシリテーターがそれも歌詞として取り入れ始めると、彼は積極的になり、次々と言葉をつなげた。それが以下の歌詞である。
男はやるっていったらやるんです
時間で動いていますから
時間がないから先にすすめ
人は人 自分は自分
鳥は鳥 山は山[5]
人生 日々進歩
以上の歌詞は、言葉のつながりや意味がちぐはぐである。でも、彼の生活環境や普段考えていることが見え隠れしており、彼らしい表現が、彼の普段の制限を越えて出てきたような味わいがある。
3)形式
Ex.4)「Which section do you visit?」
このうたは、「メロディーがあって歌詞がある」という一般的なうたの通常の形式とはかけ離れている。うたかどうかと問われると悩むような作品である。また、全員があわせて演奏する箇所がない。1拍手まわし、2「Music Love」の合唱、3勝ち抜きじゃんけんゲーム、4即興の4つのセクションから成る。全員で同じメロディーをうたうのではなく、4つの部分それぞれが個人的な作業の集積である。唯一、声を使う「Music Love」の合唱では、さまざまな声がなければ成立しない。個々人の声の違いが音楽を形作っている。最後の部分は、一人の即興表現に対する他全員の即興的な呼応によってつくられる。この手法は、数十回のワークショップを経て、「うたの住む家」が独自に見出してきた形態である。
うたの住む家のうたをもたらすもの
以上、うたの住む家の音楽について、いくつかの例を挙げて紹介した。うたの住む家の音楽は、歌詞、メロディー、形式という一要素をとってみても、一人の人が一曲全体にわたって作曲した曲とは異なるものである。この特徴は、「いびつさ」ともいうべきものであろう。この「いびつさ」は「うたづくりに複数の人が関わる」といううたの住む家の共同作曲の特性である。
うたの住む家では「うたの住む家に興味のある人」なら誰でもワークショップに参加できる。様々な立場の人、幅広い年齢の人、様々な得意、不得意分野を持った人が集まった。普段普通に生活している場面ではお互い出会わないような人たちの集まりである。これらの参加者は、障害、健常の違い以前に、一人一人が非常に異なった存在であった。これらの参加者を一つの既存の形態にまとめようとすればするほど、場の状態も音楽自体もつまらないものとなっていく。反対に、複数の参加者の個性がそのままうたに反映されればされるほど、音楽がいびつになり、独自性を帯びてくる。
この独自性を作り出すためには、共同作曲の「場」をどのようにつくるかが重要であった。うたの住む家の「場」は、ゆるい構造になっている。つまり、その場に居合わせる人は、積極的に創作活動に参加している人、作ることには興味がないが演奏のときに力を注ぐ人、その場に立ちあがっている状況をただ座って見ている人、ワークショップの内容には関係なく遊んでいる人などが同時に存在している。ここにも、うたの住む家独特の「いびつさ」が存在する。そのような場において、ファシリテーターはケアをしたり、教えたり、また音楽の明確な方向性を指示する役割を持つのではなく、その場を保証し、参加者の特異性を認める役割を持つ。ここで重要なのは、創作の到達地点を設定しないことである。これは、それぞれの人の特異性をフレキシブルに音楽に取り入れていくことを可能にする。そうすることで、1曲中に様々なキャラクターの混在が可能になると同時に、社会的に通じる意味すら持たない音楽ができあがっていった。またそのようにして、それぞれの人が得意な分野で関わることを奨励することは、それぞれの人に役割を生むことにつながっていった。
「いびつ」な音楽の可能性
これまで説明してきたように、うたの住む家におけるうた(音楽)の「いびつさ」とは、複数の人がかかわることによってもたらされる多様性の側面であるといえるだろう。この「いびつさ」は、状況が変わること、人が変わることによって、多様になり続けると同時に独自性を帯びる。そのことで、これまで歴史的に培われてきた音楽の一定の規範を超越する。というのも、音楽を学んだ人もいればそうでない人もいる中で、全員のアイディアを折り込んでいくとき、既成の音楽理論を守ることのほうが難しいからである。つまり、さまざまな人のさまざまな発想を自由におりこんでいく音楽には、これまでになかったような音楽の形態を発見できる可能性が含まれているといえるのではないだろうか。
さらに、「いびつさ」を追求していくことには、複数の人がそれぞれの方法で共存できる居方を模索するヒントも隠されているのではないかと考える。うたの住む家では、その人の(音楽的)特色をできるだけそのまま音楽に取り入れようとしている。つまり、それぞれの人の特性を標準化して一つの規範のもとに統制するのではなく、それぞれの人がそれぞれの特性を持ったままの状態で、どのように音楽上で共存できるかを考える過程である。この作業には、音楽創作と同時に「場」づくりの方法を模索している作業が含まれていることを実感している。
うたの住む家の音楽づくりの模索はまだ始まったばかりである。今後もうたづくりを繰り返しながら、「多様性を帯びた独自性」を持つ音楽と音楽の場について模索していくつもりである。
おわりに
うたの住む家では、それぞれに独特な能力や文化的背景、趣味趣向を持った人たちが、一緒に新しく音楽を生み出そうとしている。その過程で、それぞれの差異を明確化し、一人で一曲を完成させるのとは、明らかに様相が異なるうたを大量に作りつづけることで、音楽の可能性、共同作曲の可能性を見いだそうとしているのがうたの住む家の音楽づくりのありようであった。
坂倉は、うたの住む家を「音楽するコミュニティ[6]」と呼んでいる。うたの住む家は、音楽を作ることを目的としており、コミュニティづくりや人のつながりを促す目的を持ったコミュニティ音楽療法[7]とは、別の方向からのアプローチをしている。しかし、複数の人が音楽を共有する空間を作ろうとしているという意味で同じ地点にあると考えられる。このとき、うたの住む家は、三宅が指摘する「いかにして社会的な多数多様性が内的に異なるものでありながら、互いにコミュニケートしつつ共に行動し、新たな秩序を自ら形成することができるのか」[8]という課題を音楽療法現場と同様に保持している。
うたの住む家では、約二年間に渡って繰り返しうたを作り続けている。この過程は、音楽の新しい形を模索し続けている過程でありながら、その場にいる人の出会いが生み出す可能性を見出し続けていることにつながるのかもしれない。「特異性を尊重することで新たな共同性を生み出すような、新しい音楽作りの方向性」[9]について、共同作曲の現場からも考えていきたい。
参考文献
Igari, Yuji (2008). Music Created by Community. Voices: A World Forum for Music Therapy. Retrieved October 30, 2009, from http://www.voices.no/mainissues/mi40008000269.php
Miyake(2008). Rethinking Music Therapy From the Perspective of Bio-politics. Voices: A World Forum for Music Therapy. Retrieved October 30, 2009, from http://www.voices.no/mainissues/mi40008000284.php
Numata(2009). EinScream!: Possibilities of New Musical Ideas to Form a Community. Voices: A World Forum for Music Therapy. Retrieved October 30, 2009, from http://www.voices.no/mainissues/mi40009000304.php
坂倉杏介(2009)「音楽するコミュニティと「現れの空間」」、『アートミーツケア1特集臨床するアート』、東京:生活書院、47~60頁。
[1] エイブルアート・オンステージは明治安田生命保険相互会社とエイブル・アート・ジャパンが2004年に共同で立ち上げた、障害のある人を含む多様な人たちとつくる新しい舞台芸術の取り組みを支援するプログラムである。「エイブル・アート・ジャパン」ホームページ: http://www.ableart.org/
[2] このプロジェクトの最初の活動拠点は、慶應義塾大学と三田商店街振興組合が共同で運営するコミュニティスペース「三田の家」である。また、2008年12月には、浜松市で
の浜松的アートセンター構想の実験事業の一つ、たけし文化センター内で「うたの住む家」プロジェクトを行った。現在は、イギリスに住むアーティストとの共同活動も推進中で ある。[3] http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/15693/m0u/%E3%81%86%E3%81%9F/
[4] 例えば、1回目のワークショップで、即興演奏をした後、その感想をうたにしていくと、「さんまが旬だ」といううたができた。そこで、2回目のワークショップでは、サンマを料理しながら、うたを作ることにした。
[5] 「鳥は鳥 山は山」の部分はファシリテーターとAさんが相談して挿入した。
[6]坂倉杏介(2009)「音楽するコミュニティと「現れの空間」」、『アートミーツケア1特集臨床するアート』、東京:生活書院、47~60頁。
[7] Igari, Yuji (2008). Music Created by Community. Voices: A World Forum for Music Therapy.
[8] Miyake, Hiroko (2008). Rethinking Music Therapy From the Perspective of Bio-politics. Voices: A World Forum for Music Therapy.
[9] Ibid.
Add your comments and responses to this article in our Moderated Discussions.