結城幸司さん(アイヌ・アート・プロジェクト リーター)に聞く
This interview by Satomi Kondo supports part of the vision of Voices, stated as "Because culture has an important role in music and music therapy, we will encourage contributions that find their source in the cultural influences of each continental region" and continues "The forum ... intends to foster an exchange between Western and Eastern as well as Northern and Southern approaches to the art and science of music therapy."
I am pleased to be associated with Voices and to be able to help in working toward this vision. This interview with Koji Yuki telling about the Ainu and the Ainu Art Project reminds me of my experiences with the people who are now called Native Americans but who were called Indians when I was growing up. I was raised in Sheridan, Wyoming, a town with a large number of Native Americans. It was the home of All-American Indian Days, which I believe began in the 1950s and apparently continued through 1980. In spite of the number and visibility of Native Americans in my home town, I had no interaction with any of them (or indeed, with anyone who had a different background than I did). As I embrace the Voices vision of helping people to learn about other cultural traditions I find myself interested in many aspects of culture, and I wonder if I would now be this open to the culture of the Native Americans with whom I grew up. Of course, there is no way to go back and re-live these days. I can only live in the present and, in this time, I am very glad to be able to read and learn about the Ainu culture and its relationship to others in the Japanese culture. Thank you to Koji Yuki and Satomi Kondo for bringing this to us.
Barbara L. Wheeler, Voices Interview Co-Editor
はじめに
日本について知っていることは何ですか?寿司?温泉?芸者?日本が幾つもの島々からなり、異なる民族が住んでいることを知っていますか?私たちの国には、先住民族「アイヌ」の人たちもいます。「アイヌ」とはアイヌ語で「人」を指す言葉です
4年前、アイヌ民族についてほとんど何も知らずに北海道へやってきた私は、この地にある多くの(私にとっては奇妙な)土地の名前が、実はアイヌ語が源であると教えられました。私が初めて習ったアイヌ語は「神」を意味する「カムイ」でした。スピリチュアルな文化に深く根ざすアイヌの人々にとって、私たちを取り巻くすべてのものは神であり、神々は様々な形でこの世に訪れているのだといいます。
今年の9月初旬、第7回日本音楽療法学会学術大会が北海道で開催されました。「ひとと音楽との対話」というテーマのもと、音楽のちからをより深く理解しようと、様々な領域から講師を迎えて講習会が開かれましたが「アイヌ・アート・プロジェクト」もそのひとつでした。「アイヌ・アート・プロジェクト」のリーダー、結城幸司との興味深いインタビューを紹介しましょう。
インタビュー
近藤:アイヌ・アート・プロジェクトに至るまでを話してください。
結城:僕はアイヌとして北海道で生まれました。子どもの頃は、色んな形でアイヌへの差別的なことが行われていたんです。僕はアイヌであることが嫌だった。だから、早く東京へ出て、アイヌとは関係ない生活をしたかった。でも、僕の中には「俺って一体何者なんだ」という問いは消えることはなかったんです。そんなある日、アイヌたちが昔からの方法で「イタオマチブ(船)」を造ると聞き、僕はこの地に帰ってきました。老若男女の皆で船を造りながら、僕は心の底からほっとしていました。先人たちの知恵を習うことに喜びを感じながら、皆でこの船に乗って海へ繰り出すことを夢見ていたんです。
しかし、出来上がった船は、そのまま博物館へ送られていきました。それは驚きましたよ。僕たちの手を離れて、一度も海を知らず博物館へ送られていった船を見ながら、僕は哀しかった。船は展示品になってしまったんです。その時もう一度「俺は一体何者だ」と尋ねた時、「俺はアイヌで、今生きている。現代に生きているアイヌだ」と思ったんです。僕たちの文化を、単なる「古き良きもの」としたくなかった。僕たちが誰かというのを、 単に観光土産品で示したくなかったんです。それよりも、僕たちの世代から、生きているアイヌの声や表現を発したかった。そこで、同じ思いを持って船造りに参加した仲間3人が集まり、2000年にアイヌ・アート・プロジェクトを立ち上げました。
近藤:「アート」という言葉に何か特別な思いがあるのですか?
結城:実は、アイヌ語の中に「アート」を意味する言葉が見つかりませんでした。それで何となく英語の「アート」いう響きが僕たちにぴったりしたので使うことにしたんです。僕が思うに「アート」というのは、誰もが触れることができる、そして感じることができる扉だと思うんです。「アート」という扉は、何やら神秘的で、僕たちの奥深くにある魂の世界へと導いてくれるようで。僕たちは皆それぞれ違って、そして皆ひとつだとわかる世界へ。アイヌ人に「アート」という言葉がないというのは、ちょっと不思議かもしれない。でも、アイヌの伝統を振り返ってみれば、僕たちが「すること」や「あること」って、すべて「アート」だと考えられていたんです。いうなればアートは、僕たちの生活に深く染みこんでいて、そういったことを表現する必要さえなかったんだと、信じたい気もします。
実は、「音楽」という言葉もアイヌ語にはないんです。アイヌにとって、音楽は、神と交流するための道具とか方法ではないんです。むしろ、音楽は神そのものであって、神を感じることそのものです。言葉で説明するのはとても難しいんですけど...アイヌにとって音楽するっていうのは、音の神に触れるということです。だから、アイヌにとって音楽は神聖なものです。アイヌは、音楽するとき恥ずかしがらず、思い切り歌ったり踊ったりします。なぜなら、それは神と一緒にいるという感覚そのものだからなんです。
近藤:では、「プロジェクト」にはどんな意味があるのでしょうか?
結城:僕は誰もがアーティストだと思っています。僕ら3人も、常にお互いに刺激し合えるようなアーティストでありたいと思っています。「プロジェクト」は何か完成したものを指すのではなく、むしろ、お互いが持つ資源を使いながら何かを創り出すというプロセスを意味しています。僕らは3人で始めたけれど、今では多くの友達や家族も一緒になりました。そういった色々な人たちの豊かな資源があって、僕たちのプロジェクトは、音楽や絵・彫刻、そして物語りなどの様々な芸術活動を通じて、アイヌ民族の再生へ向けて拡がっています。
北海道に生まれ育ちながら、アイヌのことを知らない人が多いというのは哀しいことです。僕たちは、幼稚園から大学まで、色々なところへ訪ねて行って話をします。なぜなら、僕らの子どもたちが、いまだに少数民族と言われながらアイヌを背負って学校へ行くとき、僕らの子どもの頃と同じような思いを経験するだろうというのがやるせなかったからです。お互いの理解が絶対に必要だと思ったんです。
近藤:ではアイヌ・アート・プロジェクトの根底に流れている考えを話してくれますか?
結城:僕は、僕らの文化が常に何か不十分だということで繋がっていることにうんざりしていました。つまり、常に引き算ばかりで物事を考えていたことに飽き飽きし始めていたんです。僕は、意味あるものが、そういった引き算の考えから生まれてくるとは信じていません。尊厳が苦情の中から育まれるとは思わないんです。代わりに、僕はアイヌ人として、僕らが持っている豊かさを提供したい。僕は、お互いがもつ何か特別なものを分かち合えるような世界であって欲しいと思います。もちろん、アートはそのひとつだと思います。
僕らは今、皆、何か人間としての存続をかけて重要な鍵となるものを探しているように思うんです。僕も含めた多くの人々は、僕らの先祖が残した知恵を見つけようとして振り返っているような気がします。そういった意味で、僕らは自然や目に見えないものを、ますます意識しているように思います。アイヌが幸運なのは、僕らの生活は自然と共にあったし、自然はすぐそこにあったということです。つまり、僕らは常に神々と共にあって、神々はどこにでもいたということなんです。僕らに必要なのは、気づくということ、そして想像力を使うということだけ。気づくこと、そして目に見えないものを想像するということが、僕らの文化の核心なんです。その意味で、音楽はとても重要な役割を担うことができると思います。なぜなら、音楽は僕らに気づくこととか、全身で向かうことを要求してくる。それに音楽は、僕らの限りない想像力を刺激してくれるでしょ。もちろん、今日の現代社会に生きているアイヌとして、僕はアイヌを受け入れたり、受け入れたくなかったりと、揺れながら行ったり来たりしています。でも、それでいいと思うんです。僕らが僕らのもつ文化の核心に帰ることを忘れずにいさえすればね。僕は今、いつでも戻っていけるものがあってよかったと思っています。
近藤:最後に、アイヌ・アート・プロジェクトの将来について、もし今考えていることがあれば教えてください。
結城:はい。来年7月に、ここ北海道でG8サミットが開催されますが、僕らは市民レベルでの先住民族の国際会議を開催しようと計画しています。特にアジアの先住民族を招いてね。アートを通じて僕らの豊かさを共有できればいいなと思っています。
付記
文化を保護していますが、アイヌ民族は今も、先住民族としての権利獲得のために努力しています。2007年10月現在、日本政府は、アイヌ民族を少数民族としているのみで、先住民族として認めていません。