アジアの音楽療法士が学ぶべきことは何か?
2005年1月10日、洗足学園音楽大学で、Asian Music Therapy Symposiumが開催された。クライブ・ロビンズ氏による基調講演「文化的背景と音楽療法の発展」の後、アジアの音楽療法士3名によるパネル・ディスカッションが行われた。
ロビンズ氏は、彼がアジア各国で講演や教育にあたってきた経験から、各国の国民性や文化に関するエピソード、文化と音楽療法について、音楽療法におけるスピリチュアリティの重要性について語った。
パネルディスカッションでは、チョン・ヒョン・ジュ(韓国)、アリス・チャ‐フイ・ウー(台湾)、生野里花(日本)の3氏の発表の後、フロアを交えての討議が行 われた。
韓国、台湾の2氏の報告では、いずれの国にも、音楽療法発展の草創期特有の課題(資格制度、教育制度、研究、社会的認知)があることが報告された。
生野氏の発表については、本人の報告を参照いただくとして、私は、このパネル・ディスカッションに参加して考えさせられたことについて、以下に述べる。
チョン氏は、自らの発表の際に、梨花女子大学のノードフ・ロビンズ・クリニックの臨床風景を、ビデオで見せてくれた。
チョン氏の紹介した映像からは、クライアントたちの活き活きとした様子から、その臨床実践が優れたものであることが推察された。チョン氏が梨花女子大学にノードフ・ロビンズ・クリニックを設立し、その運営に努力していることに、心から敬意を表したい。
しかし、私は、その映像を見て、ショックを受けた。
映像の中では、セラピストが、子どもたちに、ノードフ・ロビンズのプレイソングで歌いかけていた。対象児がスネア・ドラムとシンバルを叩き、音楽療法士はノードフ・ロビンズ・スタイルの即興演奏でそれに合わせていた。その光景は、ニューヨーク大学のノードフ・ロビンズ音楽療法センターにおける臨床実践そのままであった。ただ、セラピストもクライアントも韓国人、言葉が韓国語、ということだけが違う。私は、そこに、強い違和感を感じたのだ。
これは決してチョン氏の実践の批判ではない。チョン氏の実践の姿が、私自身の、そして日本の音楽療法士の実践の姿とオーヴァーラップして見え、ショックを受けたのだ。チョン氏の紹介した臨床の風景は、韓国語が日本語に置き換われば、そのまま、日本で私や私の同僚たちが行っているセッションのようであった。しかし、そういう「コピー商品」のようなセッションは、日本人が、アジア人が、目指すべき音楽療法であったのだろうか?
多くの日本の音楽療法士たちは、欧米の音楽療法のアプローチに影響を受けている。欧米の音楽療法を“テキスト”のように考え、いかにそれに近づくかを目指してきたところがある。ノードフ・ロビンズ音楽療法、行動論的音楽療法、分析的音楽療法、GIM、等々。中でも、欧米に留学して音楽療法を学んだ音楽療法士たちは、自らが学んできた実践の方法をいかに日本で再現するか、ということに熱意を傾けてきたように思える。
しかし、チョン氏の紹介した映像を見て、私がこれまで、日本人であり、アジ
ある自分が持っているリソースをほとんど無視してきたことを自覚させられたのだ。
日本の文化の中には、クライアントの支援に役立つような多くのリソースがある。日本の音楽、人間関係における独特な繊細さ、目立たないことを美徳とする価値観、美意識、スピリチュアルな伝統などなど。日本の文化の中にある豊かなリソースに、私は余りにも無自覚であった。
そもそも、コミュニティと切り離された密室の中で、ある契約のもとに特殊な人間関係を結ぶという「心理療法」の伝統そのものが、欧米からの輸入品である。そうした人間関係のありかたは、アジア諸国に生きる人たちに適しているのだろうか? 「セラピー関係」そのものを問い直すという観点も、アジアの音楽療法士が考えるべきことだろう。アジアの国々は、いずれも、近代的音楽療法の普及という意味では発展途上である。だから、欧米の音楽療法から学ぶべきことは数多くある。しかし、だからといって、アジアの音楽療法士が欧米スタイルの音楽療法のセールスマンになる必要はない。欧米流の治療システムを輸入しなければならないわけではない。
アジアの音楽療法士たちが、欧米流音楽療法の優れた実践を目指せば目指すほど、それは「コピー」という域に留まり、アジアの文化の中に生きている人間同士のリアルな営みに達し得ないかもしれない。そのことに、アジアの音楽療法士はもっと自覚的であった方が良い。
日本では、海外ではあまり行われていない、独特の音楽療法のスタイルもある。優れた音楽療法士たちによる実践では、そうした独自のスタイルによる実践が、相当に洗練されてきているように思う。しかし、それを理論化し、海外に向けてその成果を発表することについて、日本の音楽療法士たちはあまり熱心ではなかった。欧米の音楽療法を学ぶのと同じくらいの熱意を、自らの持つリソースの発見とその臨床的応用に向けることが、アジアの音楽療法士の責務であろう。リソースとは、単に「アジアの音楽を使う」とか「アジアの楽器を使う」というような事柄だけではない。人間関係、コミュニティのあり方、美学、健康観、それら全てについて、自分たちの持っている優れたリソースを自覚する努力をしなければならない。
また、発見されたことを欧米の音楽療法士たちに伝えていくことも、アジアの音楽療法士に課されている課題である。